大学天文研のころ



飯田橋から歩いてすぐの場所に東京で唯一芸者に会える街「神楽坂」があった。この街に東京理科大学がある。昭和43年(1968年)に物理学科に入ることができた。1968年は東大紛争や三億円事件などが世間を騒がせた時でもある。そのころの理科大は一度校舎の中に入ると迷路に迷い込んだ状況に陥った。次の授業は何号館の何々教室と言われても最初のうちはどの建物が何号館さえ分からなかった。
古びた建物の屋上に小さな部室と共に天体ドームを持った天文研があった。高校時代からのめりこんだ天文への興味から大学での部活は天文研究会と決めていた。昼休みに部室に行くと、先輩たちがたむろしていて食事をしていたり、将棋を打っていたりした。天文研は太陽班、流星班、惑星班、変光星班などと分かれていたが、僕は星野班というその当時ちょっと地味なセクションに入ることにした。先輩が穏やかそうな人だったことも選んだ理由になっている。僕はそれまで天体写真を撮ったことがなかったので、どうやって撮るのかを手取り足取り教えてもらった。星野写真という分野は星座や星雲、星団からはじまって言うなれば天体写真に関することなら何でもOKだった。僕は恒星の世界を撮りたかった。当時、この分野で名が知られていたのは藤井旭さんくらいしかいなくて、かなりマイナーな分野だった。藤井さんが写した写真が天文雑誌などに載ると、こんな写真撮ってみたいと思ったものだ。藤井さんの写真には、叙情性があふれていた。天文台で写した写真とは一線を画している。地上風景をうまく取り入れて、その場所の雰囲気を表現するのがうまかった。言ってみれば芸術写真的だった。そんなアマチュア天体写真家の藤井さんにあこがれて星野写真の世界に足を踏み入れたのだった。

 理科大には千葉県の野田に別のキャンパスを持っていて、そこの校庭にも天体ドームが置かれていた。そのドームは手作り。天体観測は主にここで行われた。神楽坂は都心のため、空は明るい。観測できるものといえば太陽、月、惑星に限られていた。野田に泊り込み、小型赤道儀にカメラをセットして星の写真の撮影開始であるが、撮影の前に下準備が必要だった。地球が自転しているために、そのまま写すと星は線になって写ってしまう。点像にするためには、赤道儀の極軸を地球の自転軸に平行にしなければならない。これがけっこう大変な作業だった。今でこそ極軸望遠鏡という便利なものが赤道儀の極軸に埋め込まれているが、当時はまだそんなものはない。極軸の方位と高度を星の動きを観察しながら合わせていかなければならない。このセッティングに少なくとも30分はかかった。これが済んで、はれて写真撮影ができるようになる。はじめのセッティングが悪いと、5分くらいの露出中に星がわずかにずれてしまい短い線として写ってしまう。そのためはじめのセッティングは慎重にやらねばならなかった。今では極軸望遠鏡があるため、数分でセッティングが完了する。便利になったものだ。
もうひとつ写真撮影で気を使うのがガイディングという操作である。右の写真のように赤道儀に望遠鏡をとりつけ、これにカメラを載せて写真を撮るわけであるが、当時星を追いかけるためのモーターは付いていなかった。ということは手動しかない。望遠鏡の接眼部に十字線を張った接眼レンズを付け、のぞきながら微動ハンドルという手回しのハンドルを使って星を追いかけることになる。星ってこんなに速く動いているんだと実感するときである。これはとりもなおさず、地球の自転を実感することでもあった。ハンドルをゆっくり回し続けること5分。これはけっこうきつい。一時も接眼レンズから眼が離せないのと、夏場であれば蚊の攻撃に会う。我慢して蚊に血を吸わせることになる。我慢できずに手に止まった蚊をたたいて捕ろうとすれば望遠鏡が動いてしまう。せっかくの5分間の努力も水の泡である。冬場はまた別の苦しみがあった。寒さで手がかじかんで指の感覚が無くなってしまうことだ。冬だからといって手袋は許されない。素手でないとハンドルの微妙な回し具合を感じ取ることができないからだ。これら二つの経験を通して一人前の撮影者に成れるのだ。今は自動追尾モーターがついているから、撮影開始と同時に車の中に引っ込んでも何ら問題はない。撮影が終わる頃出ていって、レリーズを切るだけで撮影終了と相成る。まったく便利になったものだ。逆に言うとだれでも、この分野に入っていけるということになる。こんなに便利になっても夜にのこのこと表に出ることを厭わなければの話であるが・・・。

 夏休みには天文研恒例の合宿があった。当時は信州の駒ヶ根が合宿地。山小屋に寝泊まりしてみんなでわいわい天体観測をしようというわけだ。この催しがなかなか曲者である。合宿地はバスが通れないほど細い道の先にあった。大荷物を背負って山を登らなければならない。一年生はこんなとき一番つらい目に会う。シュラフ・着替え・撮影機材なんかの荷物ですでに精一杯と思っているところに、望遠鏡やら、鍋、釜、大量の食料のたぐいをくくりつけられる。先輩たちはそんな一年生を見ながら「俺達も同じことをやってきたんだ」と当たり前の顔をして気にも留めていない。重い荷物が肩に食い込む。タオルを肩とリュックの間に添えてもほとんど効果が無い。2時間くらいかけて目的地にやっと到着。肩の部分は腫れてあざになっている。これから先何が待ち受けているか不安がつのる。天体観測の楽しさもどこへやらである。
キャンプ地に到着するとすぐに夜の食事の準備が待っていた。キャンプお決まりのカレーライスが今日のメニュー。ジャガイモの皮むき、ニンジンやたまねぎのスライスとやることは山のようにある。参加人数が40名ちかいとその量も半端ではない。家族でキャンプとは訳が違うのだ。あれこれ指示を出す先輩に文句も言えず、黙々とジャガイモの皮を剥き続ける。これが一段落するころ、ご飯のしたくにかかる。まずは薪集めから。それも木っ端ではない、山に放置された大木をエッチラオッチラと数人で運んでくるのだ。運んだ後、のこぎりで適当な大きさに切り分け、ナタで使い易い薪に仕上げる。これは最後の日に行うキャンプファイヤーの準備でもあった。これが完了すると、あとは火をつけてご飯を炊いたり、カレーを煮込んだりするだけだ。すでに一年生全員へとへと。それでもできあがったカレーライスのうまかったこと。労働した後の食事は何でもおいしく感じるものだ。

 夏の夜は9時ころまで明るい。薄明が長く続くためだ。食事の後片付けをしている間にしだいに暗さが増してくる。9時過ぎからいよいよ観測開始である。降るような星空である。はじめに初心者のための星座解説が先輩からあり、その後、円陣を組んで寝転がる。流星観測の始まりである。自分の見る領域を決めてそこを流星が流れたときには、何座の何星〜何座の何星まで何等の流星が流れたかを大声で知らせる。それを記録者が書き取っていくという単純な作業を繰り返す。1時間くらいこの作業をした後は各自自由にやりたい観測をする。ここで初めて星野写真の開始となるのである。
星にロマンを求めて入った天文研も、残った想い出は「疲れたー」なのでした。
記:2006/6/28