ストーマ



規則正しい電子音と共に遠くに話し声が聴こえる。頭はまだぼんやりとしている。眼をゆっくりと開けると、白い天井が見える。今どうしているのかしだいに分かってきた。少し前、それも時間感覚はないが、後で聞いた話では2時間以上前、手術室まで歩いていき、手術台に横になった。まず脊髄に痛み止めの管を通されてから仰向けになり、マスクを掛けられた。麻酔のためのマスクだ。すぐに意識が無くなりますよと言われたのを最後に、手術が終わり、集中治療室に運び込まれるまで何も記憶にはない。最初に大腸がんで手術をしたとき切ったところを、前よりは半分くらい切って人工肛門(ストーマ)増設の手術を行なう。腹の左側に腸の一部を引っ張り出し、それを新しい肛門にする。おかしな位置に肛門ができたものだ。ふつう肛門というと大便やガスが出るのをある程度我慢することができるが、こちらは、その融通がきかない。お腹がちょっと張ってきたなと思うと、ブブブっとガスや便が出てくる。それを受けるために、袋を人工肛門の上にかぶせてある。これがストーマ装具。長い付き合いになる装具である。
病室で横になって検温などをしている最中に、所構わず音が出る。そうすると、若い女性の看護士さんが「、いいね、いいね、加藤さん、いい調子だよ」とか言ってくれるのだけれど、かえってこちらが気恥ずかしくなってくる。それでも回を重ねるにつれて、そんな気持ちもなくなり、食事中や後に便が良く出てくれると、順調に腸が機能しているんだと思うようになり、安心の音に聴こえてくるから不思議だ。
 3月29日に入院して、31日に手術が行なわれた。病室は4人部屋がいっぱいだったため、一人部屋で過ごす事になった。8畳くらいの広さの部屋で、角度を自在に変えられるベッド、テレビ、電話、冷蔵庫、エアコン、金庫、洗面台、トイレ、小間物を入れるタンス、オーバーなどを掛けておく小ぶりの衣装タンス、幅広の椅子2脚と間に小机が置かれている。差額ベッド代はこんなところにも影響しているのだろうと思いつつも、ホテルの一室という雰囲気の中で気楽に過ごすことができたのは良かったと思う。窓からは日高の低い山並みが見え、ソメイヨシノが満開を迎えていた。山桜の薄いピンクのつぼみがそこに変化を与えている。手術の翌日から歩くように指導される。腸閉塞や肺炎が怖いということらしい。ベッドから起き上がるのが一苦労だ。下っ腹に力を入れるとまだ痛みが走る。それでも無理して病棟内を夢遊病者のように無言で歩き回る。その間、点滴をし続けているから、よけいな荷物を転がしながらの散歩である。3日目くらいから、お粥を含めたハーフ食が出る。ハーフ食というのは健常者の半分の量の食事で、これを食べ出すと、便もいよいよ本格的に出始める。はじめのうちは水っぽい状態であったのが、日毎、通常の便へと変わっていく。腸の動きをよくする為の薬を食後に飲んで、腸の働きを助ける。マグラックス錠と漢方の大建中湯の二種類の薬。術後1週間は、同じ生活パターンの繰り返し。さすがに暇である。前の経験もあるので、あらかじめ読む本を用意して持ってきている。ゆっくりとした気分を味わいたいと思い、須賀敦子(1929〜98)の本を読んでみることにしていた。彼女の処女作である「ミラノ 霧の風景」と「コルシア書店の仲間たち」。彼女はイタリアのミラノに住み込んで、イタリア人と結婚した人でしたが、夫と過ごすのは短い間だった。彼女夫であるペペッピーノが若くしてこの世を去ったからだ。これらの本を書いたのは、彼女の晩年の10年くらいの間で、昔の記憶を暖めやっとそれを出版する気持ちになったときにまとめたものだった。それだけに味わいのある本である。
 退院の前日の夜から雨が激しくなり、その日(4月8日)もまだ風が強く雨が降りしきる中を帰ってきた。今回の手術は癌治療には直接的にはあまり関係なく、下行結腸にできた癌で細くなったところを便が詰まらないようにするための応急処置と言える。癌に対する治療はこれから始る。ガンマ線による放射線治療。これは、ぼくにとって未知の治療法のため、これからどういう効果や副作用が出るのかは分からない。しかし一歩一歩進んで行くより、今取るべき道は無い。
 記:2008/4/8