銀河回廊



「堂平宇宙ステーション」というロケット発射基地みたいな名前の「星を見る会」は、1989年3月から始まった。堂平山への分岐点に位置する白石峠の少し手前、勝負平に私設天文台を作った。ここを観測場所として星仲間が集まり毎月星を楽しむことにしたのだ。国立の堂平天文台がこの上にあったので、会の名前として堂平を使うことにした。この観測場所は3人の所有者が共同で管理していた土地だった。その一角を借りて天文台を作ったのだ。それまで自宅の庭にあったドームを解体してここまで運び込んだ。赤道儀はコンクリの土台にしっかりと固定した。ここに来れば即観測できる体制がこれで整ったことになる。

 会報は平均8ページのタブロイド版を作ることにした。会員から送ってもらった原稿や毎月の観測案内などをワープロで打ち込み原本を作りそれをコピーして、毎月会員に郵送していた。会報は「銀河回廊」と名づけた。「銀河を一緒に気楽に散歩しよう」が名前に込めた思いであった。会員のほとんどが天体観測には初めての人だったので、「どうしたらはじめての人に星の楽しさを理解してもらえるか」を念頭に置いての会報作りと観測会を行なった。

 星を見る会は会則などに縛られない気楽な集まりにしたかった。夜の観測であるので、当然泊まりが多い。遠くから来てくれる仲間もいたので、山の中腹にある都幾川沿いの共育舎という貸家を毎月一日だけ借りることにしていた。持ち主は天体ドームを置かせてもらっている土地の地主の一人だった。今にも壊れそうな家ではあったが、使える状態にはいろいろ補修されていた。観測後の談笑にはもってこいの場所であった。調理道具、布団などは用意されていたので、こちらは食料を用意すればよかった。人数の多いときには大変であったが近くの仲間と家内がすべてこなしてくれた。手作りの料理を食べながら大人はお酒を飲み、話が盛り上がる。こどもはこどもでいろいろ遊びを考え出して結構楽しそうに遊んでいた。木々に囲まれた場所は夜になると真っ暗になる。外に人工光は見えない。年齢の上の子がこどもたちをコタツのある裸電球一個がぶら下がっている薄暗い部屋に集めて怖い話をしている。小さなこどもたちは体を寄せ合って怖がりながらも聞いている。大人たちは子供の学校の話とか、この一ヶ月こんなことがあったとか、ときどき星の話も交えて盛り上がっていた。話疲れた人から一人減り二人減りながらも明け方まで話は尽きなかった。

 こんなこともあった。共育舎に泊まった時のこと。いつも通りお酒を飲みながら話をしているとき、「これを見て」という声にみんなそこに急いで集まった。隣の部屋との境目に羽化しようとしているセミがいた。さなぎの背中が割れている。割れた背中にとまって縮んだ羽を伸びるのをじっと待っている。みんな見とれていた。2時間くらいかかったろうか、羽をピンと張った蝉が誕生していた。あれはミンミンゼミだったか、あの光景だけは眼に焼きついている。生命の誕生を目の当たりにした感動があった。

 天文台の脇にテントを張って観測会を行なったときのこと。強い風雨が吹き荒れていた。風は強く、テントの中で必死に押さえていても今にも飛ばされそうな強さだ。どうにもこのままでは持ち応えられそうもないので、ドームの中に非難した。翌朝、ドームの扉を開けて外を見るとテントが見当たらない。まわりを見回すと、100メートルほど先に逆さまになっている青いテントが森の縁に必死で留まっている姿が見えた。雨は止んだが風は少し残っていた。近くまで行ってみるとテントは骨組みが折れ曲がっていて布は木の枝で裂かれひらひらしていた。無理してテントで一晩過ごさなくて良かったー! 危うく一緒に飛ばされているところだった。堂平は風が通り抜けるのにもってこいの地形をしていた。普段はさわやかな風で気持ち良かったが、ひとたび荒れ狂うと、もう手の出しようがなかった。そんな風の強さを当て込んで自転車の発電機を利用した風力発電を考えたこともあったが、思うような電力は得られなかった。自転車の発電機はあまり効率のいいものではなく、回すためには相等強いトルクを必要としていた。そのためよほど強い風でないと回ってくれないのだ。
ドームには雨対策が必要だった。横殴りの雨のときには雨がドームの隙間から入り込んだ。もうひとつ霧の問題もあった。濃霧のときにドーム内に自然と入り込む霧には対処のしようがなかった。じっとりと濡らしていく霧には手こずった。ドーム内には赤道儀の上に20センチ反射望遠鏡が据え付けられている。光学製品は湿気には弱い。これが一番の頭痛の種だった。堂平の夜空の条件は自宅の鳩山に比べれば数段いい。これには満足していた。約9年の間ここで頑張ったが各所に錆びが出始めて如何ともし難くなり、この場所を撤収することに決めたのだった。この撤収と共に堂平宇宙ステーションを解散することにした。

 星を見る会の解散の前年からこのホームページを作り始めていた。このページを会報代わりと考えればいいじゃなかいか。実地の観測ができない人たちには天文現象の写真を掲載することで、間接的に観測に参加してもらうことにする。掲示板の設置で一方通行にならないようにする。こんなことを考えながらホームページ作りに専念した。堂平宇宙ステーションと銀河回廊は無くなったが、その想いは新しい形で今も継続している。

会報「銀河回廊」
記:2006/7/9