アンティーク望遠鏡



組み立てた「ウラノス」(天空の神)

戦前から売り出されていた五藤光学の望遠鏡を最近知人から譲り受けた。ウラノスと名づけられたこの望遠鏡は知人の話では戦前の価格が250円だったという。「昭和10年代では1000円普請と言って、立派な入母屋の家が建った時代である。250円と言えば、平屋の家が十分建てられる値段である」と。べらぼうな値段がしていたということだ。いくら天文ファンでも手が出せるような品物ではなくあこがれの一品だったのだろう。

レンズ口径58mm
焦点距離800mm(F13.8)
上下微動付経緯台

手に持ってみて鏡筒の重さに驚いた。60mm望遠鏡ではたかが知れているのに。よく調べてみると、パイプは5mm厚くらいの真鍮パイプが使われていた。重いわけだ。現代の望遠鏡ではせいぜい2mm厚のアルミパイプが標準的。真鍮の比重はアルミの約3倍もある。さらに厚みも2.5倍、合わせると7.5倍も重いことになる。それだけしっかりしているのと、温度変化に対して光学的安定性を持っていると思う。













  格納箱に貼られたプレート

付属品


付属品ではじめ使い道が分からなかったのが太陽投影プロジェクター。取説がないのでどういう風に使うのか迷ったが知人の話を聞いてやっと納得がいった。これは接眼レンズのように取り付けて、太陽に向けると、プリズムから出てきた光が太陽像を背後に結ぶ仕掛けになっている。名前の通りのプロジェクターだった。当時、これだけ高価な望遠鏡は学校などの理科室などの備品として置かれていたのが多い。学校では昼間の授業で太陽黒点などの観測にサングラスなどの部品が必要であったが、それを大勢に見せるためにこの部品が役立ったのだろう。
学校に納めるためには理科教育振興法に準拠したものでなければ購入も販売もできなかった。太陽観測が当時のカリキュラムのひとつとして入っていたのだ。

組み立てて望遠鏡を覗いてみたが見え味はなかなかいい。微動の動きも良好。それに意外としっかりとした台であることに気がついた。台の部分がいやに重いなと思ったら、鉄鋳物で作られたものだった。
上下粗動ステーの先端には抜け止め防止のリングが付けられていて、設計者の細かな配慮が感じられた。

木箱にきっちりと納められている
対物キャップはヘラ絞り加工で作られていて、いかにも少ロット生産という感じがする。対物フードの内面には遮光リングが切られていて表面反射を防いでいる。










接眼部のラック・ピニオン部の噛み合い調整は、ピニオンをエキセン管(穴が円筒の中心からずれている管)に入れてあり、これを回転することにより調整している。
エキセンを使った微動部
2005/10/9 記 


【天王星さんからの掲示板への書き込みから】
貴重なコメントを頂いたのでこのページに追加しました。(2006/5/8)

懐かしいテレスコ手に入れられましたね。
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 私も以前、同じ製品を持っていました。知人から譲り受けたものです。但し、付属品が違っていて 別ブランド品が入っていました。
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 五島光学の「ウラヌス号」は、正規の製品とは別に、いろんな型式で売り出されていたようです。載せた広告は昭和9年の「科学画報」からのもの。ここでの58ミリは75円ですよね。
 フアインダーがないので、最初から 別途 特注品として別途生産されていたのかどうか、正確には判りません。ただ、そんな 手間のかかるロット生産は出来ないと思いますよ。
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 因に、昭和7年のカタログでの「ウラヌス号」正規品は190円、ずいぶんと差があります。フアインダーの外 付属アイピース数等にも差がありますので一概には言えませんが、時と場合によって中身の組み合わせを変えて、あっちには正規品として正規価格で売り、こっちには、モデルを変えて特別価格にしたり、と、使い分けしていたのでしょう。現在でも常套手段として どこの会社でも行っている普通の販売方法ですから目クジラ立てる程の事ではありません。従って、本体そのものは全くの同一製品だ、なります。
 そちらで手に入れられた製品には、いろんな付属品があるようですね。ただ、それらは後日 欲しいのだけ買い足したのでしょうから、たまたま その構成になっているだけの事で、多分、最初からそうであったとの事ではないでしょう。
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 一方、混乱を避けるため、メーカー名は格納箱にはキチンとしておいても、ブランド名 、付属品明細、鏡筒銘板、保証書、それらは最初から なかったと思います。説明書は、簡単なガリバン印刷(判るかなあ〜〜。)のが入っていたのかもね。
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 それにしても 正規品が190円、この特売品が 75円、差がありすぎますねえ〜〜。
 (尤も、現在でも、同じ製品で、定価19.000円 のカタログ製品。一方 では 特価7.500円、と、これくらいの価格差のある双眼鏡など 現在、いくらでもあります。)
 正規品の販路は学校関係とはっきりしていたでしょうからキッチリと利益を確保するか、その場で値引きするか、又は別途、関係者への謝礼金等を充分考慮して、それなりの 配慮した価格にしたか、いろいろあったと思いますね。
 いずれにしてもこの製品は 現在では大変なオタカラ、これだけは間違いありません。
 なお「ウラヌス号」の58mmの対物レンズは 有効径ではなくてレンズ径の実寸の筈です。従って有効径は55mmくらいではないでしょうか。一度計ってみて下さい。
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 接眼レンズの金物はアイポイントを調節出来るように見口枠が交換出来るタイプではなかったかな。
 その式は その後、各社でも結構長く続いたような記憶がありますね。ただ4mmとかの短焦点のはフラットタイプで交換不要だったと思いますが。
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 肝心の見え味はどうだったか?。正直申して、20cm 30cm 等々を見なれている目からは、口径差は どうにもならず、贔屓目で ベスト!、それが正直のところでした。
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 もう一つ 加えれば、その頃であれば 多分 部品は一個合わせで組み立てていた筈。それだけに、仮に、分解する時があったら、部品ごとに刻印してある「合判(あいばん)」に注意して下さい。再組み立てには それが目印になりますので---------とにかく現在とは違って大変な時代の産物ですよ。