偶像破壊



バーミヤンの仏像破壊(朝日新聞)

アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバーンによるバーミヤン石仏の破壊のニュースが悲しい。アフガニスタン中部にあるバーミヤン石窟寺院群には、最大53mの大石仏がある。東西にある大仏の内、東大仏(38m)が全壊、西大仏は頭部が破壊されていまっている。非常に残念であると同時に憤りを感じる。

日本でも、1868年(明治1年)に神仏分離令が出された折り、神社と仏寺の争いが起こり、これにともなって石仏の首を落としたり経文を焼いたりということが起こっている。いわゆる「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」運動である。千葉県の鋸山に行ったときに数多く見た首無し石仏もその例なのだろう。

ユダヤ教では偶像崇拝が禁止されている。一神教であることからくる当然の帰結かもしれない。イスラム教もこれに該当する。神がいて、その下に人間が位置するとする唯一神信仰の場合に、もっとも偶像破壊の危険性ががあると言えないだろうか?

キリスト教では、4世紀頃から聖者や殉教者の偶像を崇拝することを排斥する運動が起こっている。
キリスト教も唯一神信仰である。
偶像崇拝は、どの宗教においてもあるいは政治の世界でもつきもののように思える。人々に宗教や政治理論(例えばレーニン像)が意味するものをイメージ化させるのに最も手っ取り早い方法であるからだ。しかし、その反動が常につきまとっている。
今回のバーミヤンの仏像破壊は他宗教の像を破壊することであり、日本の廃仏毀釈に似ているとも言える。
仏像破壊を宗教的なものと見れば上のような解釈になるが、もうひとつ考えなければならないことがあるように思う。それは、人間が精魂込めて作ったものを宗教の名において、いとも簡単に破壊してしまうというその人間の神経がむしろ問題だと思うのだが・・。
2001/4/4