脳と仮想





【著者略歴】
1962年東京生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学院客員助教授(脳科学、認知科学)、東京芸術大学非常勤講師(美術解剖学)。
東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程を修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。
主な著書に「脳とクオリア」「心を生みだす脳のシステム」「意識とは何かー<私>を生成する脳」「脳内現象」「スルメを見てイカがわかるか」「脳の中の小さな神々」。「脳と仮想」で第4回小林秀雄賞を受賞している。

科学というものは、計量できるものに限って理論的に予測できる。そして科学は数値で表せないものを思考の対象から除外してきた。現代のわれわれのほとんどの人間があたかも科学ですべてのものが説明できると思い込んできたし、こういう世界に慣れたわれわれのほとんどがその恩恵を被っているために、科学で解明された世界がすべてであるかのような錯覚に陥っているといえる。
脳科学者である茂木健一郎は、そこに疑問を持った。2004年に出版された「脳と仮想」は、その疑問に正面から取り組んでいる。
「サンタクロースは存在するか」という疑問を発した5歳くらいの女の子の話から本書は始まる。これからとりかかる難しそうな話を和らげ、読者の注意を向けさせるのになかなかうまいプロローグである。小林秀雄氏は「信ずることと考えること」の講演でユリ・ゲラーの超能力の話から始め、本題に入っていった。サンタクロースの話もこれと似た趣向といえば言える。人間の経験のうちで、計量できないもの・数値化できないものを脳科学では「クオリア」(感覚質)と呼んでいる。数量化できない微妙な物質の質感=クオリアを得るには、視覚、聴覚、味覚、触覚などの感覚器官からの情報を必要としている。このクオリアを通して外界の現実を知ることになる。クオリアは各個人で異なっている。日没時の太陽を見たとき感じる赤は人それぞれで同じ赤だという保証はない。というより各個人で異なっていると考えた方が自然である。このクオリアのうち現実と合致しないものを仮想(imagination)と呼んでいる。仮想を生み出しているものはたった1リットルしかない脳である。しかしなぜ脳の中にある1000億とも言われるニューロン(神経細胞)によって、これらの仮想が生じるかについては今の科学でも解き明かされてはいない。この脳内現象の起源を考えることがこれからは必要だと茂木さんは言っている。
興味ある話として、ことばの起源を述べている箇所がある。今、われわれは何の疑問もなく言葉を話し、文章を書いているが、果たして言葉はどのように現れ今のような確固たるものになったのかが不思議であり、その起源をよく考える必要があるという。われわれの脳の中に言葉が立ち現れ、現在のようになるためには長い歴史を必要としている。そして、脳にはその記憶が自覚されない無意識の領域に書き込まれているという。思い出せる記憶ではなくて、言葉の起源のように思い出せない記憶にこそ重要なポイントがあると茂木さんはいう。この本を読んでいて、自分と外界・他者と関わりのこと、自分と歴史の関係など考えることが多々あった。
2006/2/25 記