重さがある理由



ある講演会の折、演壇に立った話者はしきりに何かを気にしていた。はじめ何を気にしてそわそわしているのかわからなかった。「あの騒音、何とかなりませんかね」講演者は口にした。外から忍び込んでくる微かなトラックや乗用車の音が気になっていたのだ。そんなことだったのかと思った。というのもこちらは講演者の話を聴こうと耳をそばだてていたのでそんなことまったく気がつかなかったからだ。聴こうとしているものは聞えても、意識を逸らしたものは感覚の中にさえ入り込まない。人間の感性とはこのようなものなのだと初めて知った。
 朝刊にこんな記事が載っていた「物質にどうして重さがあるのか、そのわけを物理学者が必死で考えていて、未だにわからないという。」。ほうと思った。なぜをつきつめるとこんなことまで考えるようになるのかと。
その記事によると、その一端をつかんだとある。質量が大きいものほど動きにくい。ここに着目して重いものは動きにくくする何者かが他と比べてあるに違いないというのだ。以前から理論的に予想されていたヒッグス粒子(未確認)というのがどうもその基にあるらしい。ものに粘っこさを付け加えるものだという。日本の学者が、物質の元であるクォークの振る舞いをスパコンを使ってシミュレーションをした結果、その仕組みの一部をつかんだという。思いもかけないことに興味を持ち、視点を変えると、それが見えてくるということか。見ようとしなければ見えない。聴こうとしなければ聞えない。同じことなのだろう。
 講演の話に戻そう。講演者の騒音に対する意識、考えてみればその程度の講演者だったのかと納得がいく。意識は講演の内容には無く、外界に注意を惹かれていたのだ。講演内容も押して知るべしである。聴衆の集中力の方が話者を超えていたということだろうか。



ヒッグス場の海
現実はヒッグス場の海のなかにあり、ヒッグス場と反応する粒子は抵抗を受けて光速では飛べなくなる。これは質量を持つことと同等である。(出典:高エネルギー加速研究機構:キッズサイエンティスト「ヒッグス粒子と質量」)

ヒッグス粒子と質量
記:2007/4/25