生物に学ぶ光学系



 1608年、オランダのリッペルスハイが元祖といわれる望遠鏡。人間は自分の眼の限界
を超えて遥か遠くの景色を間近かに見せてくれる器械を発明しました。その後の望遠鏡の
改良と巨大化の陰で、細々と生きてきた生物たちがいました。彼らは自分の限界は超えら
れないものの、独自の進化した眼を持って自然と対峙してきました。そんな生物たちの眼
に人間が興味を示し始めたのは、つい最近の話です。光センサーとしての眼の見直しです。
そんな中から望遠鏡と関連して興味ある生物の眼をいくつか紹介しながら、私たち人間の
眼のすばらしさにもふれたいと思います。

はじめにありき


「物を見て、それが何であるかを知る」という、われわれ人間が普段考えもしないで使ってい
る能力に、多くの先人たちが興味を示し追求してきました。古くは、紀元前300年頃に活躍し
た数学者ユークリッドがあげられます。彼はすでに光が均質な物質の中ではまっすぐ進むと
いう「光の直進の法則」と、鏡で反射された光は鏡の垂線に対して入射光と同じ角度で進む
という「反射の法則」を見つけていました。ユークッドと聞くと、幾何学の証明問題で悩まされ
たという人も多いかもしれませんね!
 また彼は、眼で物を見たときの大きさの違いをどう表現するかについて、「視角」という考え
を持っていました。皆さんも望遠鏡のカタログで実視界とか、みかけ視界という言葉を目にし
たことがあるでしょう。
 この「視界」というのがそれで、物の両端を見込む角度という考え方です。ものさしで長さを
計って大きさを表わすこともできますが、天体のように遠方にあるものにはとてもそんなことは
できませんね!
 実際の大きさはともかくとして、見た目の大きさを比較する時、角度は大変便利なものです。
そういった意味で、ユークリッドの視角の概念は大切です。今では子供でも物が見えるのは
物からの光が目に入ってきて、網膜に像を結ぶからだと知っていますが、当時はユークリッド
さえ、目から光が送られて物に当たるから見えるのだと考えていました。これは、今とはまっ
たく逆の考え方です。
 現在のような考え方を提唱したのは、近代光学の祖といわれるアラビアのアルハゼン(965
〜1039年)という学者でした。彼は「視覚論」という本の中でこのことに触れています。
 まさに「はじめに光ありき!」です。私たちは光と闇が織りなす自然の妙味を、眼という道具
を使って無意識のうちに満喫しているのです。



【超広角の眼】

 地球上には多くの生物が共存しています。
そして、ほとんどの生物が眼という道具を
持っています。これから、いくつかの動物
たちの眼と望遠鏡との関連についてお話し
したいと思います。きっと皆さんもあらため
て、自然の偉大さに目を見張ることでしょう。

 まずは「ほたて貝の眼」のお話です。
「えっ! ほたてにも眼があるの?」と思
うでしょう。 二枚貝でも「はまぐり」など
には眼はありませんから、これはちょっと
意外かもしれません。食べ物をロにすると
き、魚はともかく貝の眼などに注意したこ
とがある人などいないのではないでしょう
か。食べておいしければ、それでいいです
からね。でも、ほんのちょっと私の話にお
付き合いください。
 ほたて貝をよく見ると、周辺に直径1ミリ
くらいの緑色、あるいは赤紅色の眼がほ
ぼ同間隔で並んでいるのに気がつくでしょ
う。こんな小さな眼に隠された秘密を、内
緒でお教えしましょう。(写真1
 ほたて貝の眼を模式的に描いたのが図1
です。まずレンズみたいなものがあって、
そこを光が通過します。その光は後の面で
反射されてレンズと反射面の中間に集まり
ます。
そこに視細胞という光を捕らえるものが並
んでいて像を見るしかけになっているんで
す。よくもここまで調べた人がいるもんで
すね!
 ここまでお話しすると、ハッと気がつく人
もいるでしょう。望遠鏡に興味がある人な
ら、これがどこかで見かけた光学系に似
ていると思うに違いありません。
1932年のハンブルグ天文台報告に「明る
いコマのない反射光学系
」として発表さ
れた、ベルンハルト・シュミットが考案した
シュミットカメラ図2)の構造とまったく同
じなんです。
 これは、広い範囲にわたってすぐれた星
像を結ぶために、今日でも多くの天文台で
使われている光学系です。前にあるレンズ
は球面ではなくて、高次の非球面です。こ
んなすぐれた眼をほたて貝が持っていると
は驚きです。
 ほたて貝の眼1個の視野は実に100度に
も達します。そんな眼が60個もあるのです
から、ほたて貝の制御系がどんなになって
いるかにも興味が持たれるところです。だ
って60個の眼からの情報をどうやって処
理して行動しているのか、不思議とは思い
ませんか?人間はたった2つの眼でも扱
いきれないときもあるというのに・・・。




【図1 ほたて貝の眼とその構造】


【写真1 ほたて貝】


【図2 シュミットカメラの光学系】
【水陸両用レンズ】

クルマエビ写真2)は、体を丸めたとき
甲殻についている縞模様が車のスポーク
のように見えるところから、この名前がつ
いたといわれています。
 クルマエビの眼もちょっと変わっています。
人間の眼の一番外側にある角膜に当たる
ところが、レンズになっていて、それも昆虫
の複眼のように多くのレンズが並んでいま
す(図3)。角膜の両側が平面で、さらに屈
折率の異なる平凸レンズと平凹レンズが
組み合わさった形をしています。 まさに
平面色消しレンズアレーなんです。小さな
レンズがこのようにいっぱい並んでいるも
のを「ハエの目レンズ」とも呼んでいます。
 さて、外界と接する面が平面というのは、
非常に便利な性能を持っています。という
のは外界が空気であろうが水であろうが、
遠くの物体の結像位置がほとんど変わらな
いのです。将来、こんなことを利用した水
陸両用の望遠鏡あるいは望遠鏡関連部品
が現われるかもしれませんね!


【おもしろい生物の眼】

 生物の眼には、このように人間が持ち合
わせていないような機能を持つものが多く
あります。この他にも、複眼を持つ昆虫な
どは皆さんもご存じでしょう。でもミツバチ
偏光を見ることができることは案外知ら
れていません。ミツバチは偏光フィルター
などという道具を使わずに偏光を見ること
ができ、それによって太陽の位置を感知
し、方向を知るらしいのです。
 また、ロイヤルプレコストーマスという
ナマズ(写真3)は、目の中央に入射光量
を調節する可変遮光板を持っていて、外観
はまるで1本の斜鏡支持棒を持つニュートン
式反射望遠鏡のようです。
人間の場合は瞳の大ききを調節して光量を
増やしたり減らしたりして環境に順応Lて
いますが、このナマズの眼は、絞りが眼の
真ん中あたりにあるのです。
考えたら、この方が合理的かもしれません。
細い所を見る分解能力は、口径て決まるか
らです。レンズ口径を変えないで光量だけを
調節する方法は、太陽を見る時、望遠鏡の前
に付ける絞り用できないものでしょうか?
あるいは、カメラの絞りでこんなものができた
らおもしろいのではないでしょうか?
(正確にいえば、ロイヤルプレコスト−マスの
眼(右の拡大写真をご覧ください。)は下のよ
うな構造をしています。
通称オメガアイと呼ばれる虹彩で、何百種
というプレコスト−マスに属する種が持ってい
る共通の特徴で、ロイヤルプレコスト−マス
はこの中の一種です。
また、オメガアイという通称の通り、この虹
彩は、中央に円形の遮光板がある のでは
なく、目の上から涙型の遮光板が垂れ下が
った様な独特な形をしています。
光の通る部分は、ドーナツ型ではなく、三日
月型もしくは、1部が切れたドーナツ型をして
います。
淡水魚類の中で、光量の調整機構があるの
は、プレコスト−マスだけだいわれています。
・・・ある読者の方からご指摘がありましたの
でここに追加させていただきました。




【写真2 クルマエビ】


【図3 クルマエビの眼の模式図】



【写真3 ロイヤルプレコトーマス】



【上の眼の拡大写真】
 
タカワシのように高いところから獲物
を狙う動物の眼は、望遠レンズがはじめか
らついていて分解能を高めています。絶滅
したアパトサウルス図4)などの巨大恐
竜の眼も望遠レンズだったに違いありませ
ん。あれだけ大きな動物が長い首を上けて
見下ろすためには焦点距離の長いレンズが
必要だったでしょう。こんなことをいろいろ想
像すると楽しくなってきます。

【猫眼って、どんな眼?】
猫の眼をよくよく見たことがありますか?
食べるとすぐ満足な面もちで眠ってしまいま
すが、昼間と夜とでは、ひとみの形が違っ
ています。昼間は縦長のスリット状になって
いますし、夜はまん丸なひとみを大きく開け
ています。これは、昼間の明るさを防ぐため
の変化なのですが、人間の場合は、形が丸
いのが違っています。写真4
猫は夜でもよく見えるように、感度の高い視
細胞が、人間より多くあると言われています。
それで、昼間はまぶしそうに眼を細めている
のです。
人間でもひとみの大きさは直径2mmくらい
から7mmくらいに変化して、光量を調節して
います。
猫の縦長のひとみは、光学的応用におもしろ
い面を持っています。それは、縦縞模様の識
別が必要な場合など、縦長のひとみ(絞りと
言ってもいいでしょう)があると、横方向の分
解能が良く、さらに縦方向にレンズが大きい
ことから、多くの光を集めることができます。
ですから使いようによってはおもしろいレンズ
系を構成できます。何かこういうことが必要な
ときは、試してみるといいでしょう。

【光センサーとしての眼】
 このように生物の眼に教えられることは
無限と言っていいでしょう。おそらく、これか
らいろいろな応用光学系が現われてくるも
のと思いますが、最後に人間の眼をもうい
ど振り返ってみるのも意義あることなので、
とりあげたいと思います。
私たちの眼図5)は当然のことながら、
光を捕らえて、外の現象を脳に伝える役目
を持っています。
 まず光の進みかたを見てみましょう。は
じめに、光は眼の保護部分でもある角膜を
通ります。角膜もレンズとしての働きがあ
つて、光は少し屈折します。それから、レ
ンズに当たる水晶体を通った光は網膜に集
められます。網膜に作られた像は逆さです
が、その情報が視神経によって、脳に送ら
れコンピュータ処理されて見えるという仕
組です。
 眼は角度1分の分解能力で「焦点距離
約20ミリのオートフォーカスレンズ」を持つ
光センサーです。
望遠鏡という補助器具を
使って天体を見た時、望遠鏡の分解能力を
いっぱいに発揮するための適正倍率がある
ことは皆きんもご存じでしょう。
たとえば望遠鏡の分解能が1秒角の時は、
60倍の倍率をかけるという具合です。
1秒の60倍は1分となり、裸眼の識別能力の
範囲内に入るからです。
人間の眼にも、驚くようなことがいろいろあ
ります。なかでも興味深いのは、網膜上の
視細胞に結んだ像の情報を伝える神経細胞、
言わば眼の電気回路が視細胞よりもレンズ
に近いところにあるということです。(図6
透明な電気回路基板」なんて、まだ人間
には作りだせません。でも人間の眼にはどん
な技術者にも負けない回路ができあがって
いるんです。

【図4 アパトサウルス】



夜の猫の眼

昼間の猫の眼
【写真4 猫の眼】




【図5 人間の眼の構造】



【図6 人間の視細胞】
網膜をもう少し詳しく見てみましょう。
網膜上には多くの視細胞が並んでいて、外
からの光を捕えていますが、視細胞に2種
類あることが知られています。 眼の視線
方向に数多くある「すい状体」、周辺部に広
かっている「かん状体」の2つです。2つの
視細胞はそれぞれ働きが異なっています。
「すい状体」は明るいところで働き、細かい
所を見分けたり、色を感じ取ることができ
ます。「かん状体」は、色の識別ではちょっ
と弱いのですが非常に高感度の細胞で、夜
の暗闇に反応するものです(図7)。天体観
測で活躍するのが主にこの「かん状体」で
す。「すい状体」と「かん状体」の働きの違
いは、次のようなとき皆さんも経験してい
るはずです。
 昼間、映画館に入った時のことを思い出
してください。最初の数分間は、スクリーン
だけが見えて他は真っ暗で何も見えませ
ん。こんな時に、無理に動くと階段につま
ずいたり椅子にぶつかったりして大変です。
7分くらい経つと、通路が見えるくらいに
なりますが、まだ完全ではありません。12
分くらい過ぎると、さらに細かな所まで見
えるようになってきます。これは、暗さに
反応する「かん状体」が、本来の性能を発
揮するまでに時間がかかることを意味して
います。
 さて、逆に映画館を出る時はどうでしょうか?
はじめまぶしさを感じますが、2分もすれば、
元通りになります。「すい状体」の適応がい
かに速いかがわかります。夜空の星を見た
い時、明るい部屋から外に出てもすぐには
よく見えませんね。まだ「かん状体」の準備
が整っていないためです。
天体観測では、30分くらいまわりの暗闇に
眼を慣らすことを忘れないようにしてください
図8)。
 人間の眼は、いま見てきたように2つの光
センサーを持っていて、外界の明るさに応じ
て、低感度高分解能センサー高感度
低分解能センサ
ーを使い分けています。
人間には欲がありますから望遠鏡などの補
助器具を併用Lて、眼の能力を高感度高分
解能センサー
にまで高めています。
他の生物にできないことをやってのけている
といえるでしょう。



【図7 すい状体とかん状体の感度】



【図8 すい状体とかん状体の反応速度】
 人間の感じ取ることができる明るさの範囲が非常に広いのにも驚きます。6等星の明るさから、太陽の明るさまで実に10兆
倍の明暗の差を読み取ることができるのです。これが可能なのも、入間の眼が「対数的に明るさを処理する能力」を進化の過
程で獲得してきたからなのです。明るいものは、明るさを圧縮し、暗いものは感度を上げて見えるようにしています。電気光学
の世界でいう「光センサーログ(対数)アンプ」が、まさにこの働きをしています。人間が高度と自負している電子工学技術
を、眼はすでに実現しているのです。
 人間の眼には、まだおもしろいことがいっぱいあります。たとえばです。涙は眼をいつもきれいにしておくための自動洗浄
装置
です。カメラのレンズでこんなものがあるでしょうか? 自動的にレンズ面に付いたほこりを払って、きれいにしてくれるもの
かあったらいいとは思いませんか?天体撮影中にレンズに露がつき、せっかくの写真がおじゃんになった経験を持っている方も
多いでしょう。こんな時、露払いの装置があれば便利です。眼は、この作業を涙により、みごとにやってのけているのです。
 また、眼は無意識のうちに1秒間に100回以上の微小運動(固視微動という)をしています。視角でいうと20〜40秒角の振幅
です。これは、網膜上の動きでいうと、視細胞1〜1.5個分に相当する小さな振幅です。でも、これがどうも重要な働きを持ってい
るようです。装置を使って無理やりこれを止めてしまうと、数秒であたりの景色は消え失せて何も見えなくなってしまいます。
眼は動くことで物を認識しているようです。人間の眼の最小分解能が角度1分というのも、この固視微動と視細胞の大きさに関
係しているのでしょう。
さて、「生物に学ぶ光学系」の話はいかがでしたか?普段ついつい見過ごしてしまう事実に結構おもしろい秘密が隠されてい
ることに気づかれたことでしょう。自然をあらためて見つめ直すと、新たな光学系やアイデアを発見できるかもしれません。人間が
作り出したものは、自然のほんの一部の再現に過ぎないのですから・・・。
●この文章は「ASTRO GUIDE 1994」(アスキー)に掲載したものを加筆訂正したものです。