スケッチすること




中学2年生のとき、植物採集に夢中でした。東京は練馬の大泉に住んでいましたが、近くには牧野庭園がありました。ここは、牧野富太郎さんが晩年暮らしていた場所を保存すると同時に一般に公開している庭園です。そこへ何度も通ったことを覚えています。ときどき大学の先生が来ていたりしたので、分からない植物があると聞きに行ったのです。先生は分厚い植物図鑑を奥から出してきて、丁寧に教えてくれました。左の植物も、おかしな形をしていたので、ひょっとしたら、新種ではないかと、胸をはずませて聞きに行きました。先生は植物を見るなり、「これは、ぎんりょうそうの仲間だな」とあっさり言われて、がっかりしたのを覚えています。と同時に、この先生ってすごいな!と思いました。これがひとつのきっかけになって、夢中で植物を集め始めるわけです。牧野庭園には、牧野富太郎自筆の絵が飾られています。烏口に墨をつけて書く手法でしたが実に精密で、ほんとうに手書きなのと思わせるものでした。よし、それでは、まねして書いてみるかとスケッチをしはじめたのが左の絵です。烏口を使うと非常に細い線もきれいに書けるのですが、うっかりしていると、墨がポタッと落ちることがよくあって、せっかくの絵を台無しにしてしまいます。そんなときは、もうどうしようもなくくやしい想いをしたものです。でもうまく書けたときは、うれしさも100倍。スケッチは、面倒ですが、写真と違って、物を良く見るため、ふだん気づかないこともふと気づくことが多々あって好きなのですが、最近はもっぱらパソコンで絵を描くため、烏口を使う機会がありません。パソコンでは書き損じがあってもすぐに修正できるという便利な面もありますが、その便利さにかまけて、物に真剣に立ち向かうことが少なくなったような気もします。時々は、昔に戻ってみることも必要なのかなと思ったりするこのごろです。