地上の星座



中島みゆきの歌に「地上の星」というのがあった。

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  風の中のすばる 砂の中の銀河
  みんな何処(ドコ)へ行った
  見送られることもなく
  草原のペガサス 街角のヴィーナス
  みんな何処へ行った
  見守られることもなく

  地上にある星を 誰も覚えていない
  人は空ばかり見てる

  つばめよ高い空から 教えてよ地上の星を
  つばめよ地上の星は 今何処(ドコ)に
  あるのだろう

  崖の上のジュピター 水底のシリウス
  みんな何処へ行った
  見守られることもなく
  名立たるものを追って 輝くものを追って
  人は氷ばかり掴む

  つばめよ高い空から 教えてよ地上の星を
  つばめよ地上の星は 今何処(ドコ)に
  あるのだろう

  名立たるものを追って 輝くものを追って
  人は氷ばかり掴む

  風の中のすばる 砂の中の銀河
  みんな何処(ドコ)へ行った
  見送られることもなく

  つばめよ高い空から 教えてよ地上の星を
  つばめよ地上の星は 今何処(ドコ)に
  あるのだろう

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この歌詞とも一部通じるところはあるが、今日は別の話である。作家・畑山博の晩年の本である「地上星座学への招待」(生活人新書・NHK出版)。この題名を見たときハテ何かなと思う方も多いと思う。地上に星座なんかありはしない、星座は空にあるもんでしょと思うのが普通だろう。ところが畑山さんは、意外な発見をしたのである。地上の湖や遺跡などをつなぎ合わせると空の星座の配置に驚くほど似て分布していることに気がついたのだ。例えば東北の湖の分布を結ぶと夏の南の空に見える射手座の配置に似ているのだ。この本の中で気に入っている配置のひとつである。この地方は9世紀にアテルイが統治していた。その話を知ったのは熊谷達也の「まほろばの疾風(かぜ)」である。坂上田村麻呂に最後には滅ぼされることになるが、アテルイは駿馬に乗って強弓を操る名手であった。一方射手座は半人半馬の弓を射る姿をしている。この一致を人為的とみるか、何か宇宙に奥深いものがあると見るかは意見が分かれるところであろう。

畑山さんは詩的センスでこの二つの一致を発見したとき、なぜという疑問は残るが感覚的に理解できるところがあるという。もちろん、二つの姿は微妙に食い違っている。線の長さ、傾き具合など難癖をつければいくらでもつけられるだろう。「物理学の解釈では・・・とうぜん違ってくる。でも私は、大自然の諸現象をもう少し重層的に考えてみたいといつも思っている。月が海を持ち上げるなら、もっと小さな天の星が、湖水や泉の水を持ち上げようとしたっていいではないか。さらに言えば、持ち上げられる側の湖水や泉に、呼応しようとする意思が潜んでいると考えたっていいではないか。」と。そして「人が、星たちの息づかいを感じられなくなってもう久しい。より深きPoemの世界へ」と述べている。考えさせられる言葉だと思う。
この本で述べられている星座は実に多い。はくちょう座、おおぐま座、みずがめ座、オリオン座、ふたご座、ぎょしゃ座、うしかい座、しし座、まだまだある。これらが世界からピックアップした湖沼や遺跡(万里の長城など)と呼応しているのを列記している。果てはヘルクレス座とヨーロッパのすべての首都との呼応もなかなか見ごたえがある。読んでいて楽しくなる本だ。畑山さんは、この本を書き上げ、出版(2001年11月)を見ることなくこの世を去っている(2001年9月)。


追記】掲示板でよく書き込みをしてくれる斉藤さんは、ぼくの大先輩であるが、斉藤さんの提唱によって山形県新庄市が「織姫星の里」としてPRすることになった。というのもこの町の真上を織姫星が通過することを斉藤さんが発見し新庄市にアドバイスしたのがきっかけとなっている。ちなみに斉藤さんは山形県出身である。空と地上との呼応がまだまだありそうで楽しくなってくる。
新庄市のホームページ (「新庄ふるさとめぐり」の中に関連記事があります)
記:2006/11/2